熊谷市議会 2022-12-15 12月15日-一般質問-06号
また、熊谷次郎直実公と京都、法然上人が開山された金戒光明寺には法然上人を訪ねた直実公が池でよろいを洗い、そのよろいをかけた松が、三代目となる松が現在も存在しますし、すぐその隣には直実公が開基した熊谷堂、そこには直実公自身を彫ったと言われる木像が祭られ、逆馬のびょうぶもあります。そして、先ほど申し上げました祗園しだれ桜、うちわ祭、京都とのつながりの強さを感じます。
また、熊谷次郎直実公と京都、法然上人が開山された金戒光明寺には法然上人を訪ねた直実公が池でよろいを洗い、そのよろいをかけた松が、三代目となる松が現在も存在しますし、すぐその隣には直実公が開基した熊谷堂、そこには直実公自身を彫ったと言われる木像が祭られ、逆馬のびょうぶもあります。そして、先ほど申し上げました祗園しだれ桜、うちわ祭、京都とのつながりの強さを感じます。
次に、熊谷の歴史と観光資源についてですが、本市には中山道の宿場町としての歴史や熊谷次郎直実公、斎藤別当実盛公 荻野吟子女史など郷土の礎を築いた偉人、妻沼聖天山の国宝歓喜院聖天堂など多種多様な地域資源を有しています。
本市には、熊谷うちわ祭をはじめとする伝統行事や、妻沼聖天山の国宝歓喜院聖天堂、日本さくら名所100選の熊谷桜堤、星川シンボルロードなどの名所のほか、熊谷次郎直実公、荻野吟子女史など郷土の礎を築いた偉人や、100年フードの五家宝やうどんなどの物産といった多種多様なすばらしい地域資源があります。
また、名木としては、中央公園に京都円山公園のシダレザクラの孫の木で、熊谷次郎直実公の2人の姫の愛称がつけられている玉都留姫と千代鶴姫が、歌舞伎で直実公を演じた12代目市川團十郎氏が本市を訪問された記念として国立劇場から寄贈された駿河小町などがあります。
本市には武士であるとともに、僧侶蓮生としても活躍した熊谷次郎直実公、妻沼聖天山を開いたとされる斎藤別当実盛公など、郷土の誇る武士や、女医第1号である荻野吟子氏、麦王で知られる権田愛三氏など、全国的に知られる偉人や、関東一の祗園として名高い熊谷うちわ祭など数々の祭り、うどん文化、日本一のラグビー、そして国宝聖天山歓喜院など、すばらしい歴史と文化があります。
次に、クマガイソウについてですが、クマガイソウは、本市ゆかりの偉人である熊谷次郎直実公の名を冠した絶滅危惧Ⅱ類に指定されている植物です。元来、本市には自生しておらず、昭和54年に結成された熊谷草保存会による植栽活動が、星渓園をはじめ、市内各所で行われました。開花した株もありましたが、夏場の高温環境等も影響し、植生した株は根づかず、平成26年には保存会も解散しています。
次に、熊谷寺についてですが、熊谷寺は、熊谷次郎直実公が出家し、蓮生と号した後、寺院として中興されたもので、郷土の偉人である直実公、蓮生法師にゆかりの由緒ある寺院です。市街地周遊の向上において熊谷寺の存在は大変魅力的ではありますが、修業を行う厳粛な場として、御住職をはじめ、檀家の方々が大切にされておられることから、観光を目的とした開門等をお願いすることは控えているところでございます。
なお、観光案内の中では、駅前広場内に設置されています熊谷次郎直実公の銅像についても紹介する予定です。 以上です。 ◎清水敏文総合政策部長 続きまして、観光協会の法人化についてお答えいたします。 熊谷市観光協会は、民間のノウハウを取り入れた柔軟な発想の中で、観光を軸としたまちづくりを推進するため、昨年4月から一般社団法人として本格稼働しております。
一方で、近隣自治体においても、越谷市の宮内庁埼玉鴨場のカモと越谷特産のネギをイメージした、特別市民であるガーヤちゃんや、蓮田市のマスコットキャラクター、蓮田とハッピー、幸せのハッピーではすぴぃ、熊谷市のマスコットキャラクター、猫の鳴き声に熊谷の武将、熊谷次郎直実公をプラスしたニャオざね、深谷市の深谷ネギをイメージしたふっかちゃんなど、各市の広報物やホームページ等において積極的に活用されております。
また、桜ファンクラブでは、幻の桜と言われていた熊谷次郎直実公ゆかりの熊谷桜の存在を確認し、増殖させ、市民へ配布するとともに、市内の小中学校や石上寺、公園などへの植樹を進め、さらには直実公の子孫が多く住む気仙沼市への植樹も毎年のように行っています。こうした歴史と物語を持つ熊谷の桜は、観光の視点から見ても重要な素材であると思います。 そこで、質問1、熊谷の桜の現状について伺います。
続きまして、直実公の銅像についてでございますが、市制40周年を記念して熊谷次郎直実公銅像建設協賛会によって制作されたもので、作者は長崎の平和祈念像で有名な文化功労者、北村西望氏であり、台座には直筆の「熊谷の花も実もある武士道のかおりや高し須磨の浦風」の和歌一首が刻まれております。
暑さ対策、クールシェア、スポーツ推進、ラグビータウンくまがや、アルカス熊谷、ラグビーワールドカップ2019、熊谷次郎直実公、グライダー、妻沼聖天様、荻野吟子女医、桜堤、くまぴあ、星川、荒川、利根川など、熊谷市を全国に大きくアピールできるキーワードはたくさんあります。しかしながら、熊谷市や籠原駅周辺を初め市内各地において、一目で見てわかる広報が積極的になされていないのではと考えております。
熊谷市の玄関熊谷駅を出て一番目立つもの、それは北村西望作の熊谷次郎直実公の像です。昭和49年に北口のロータリーに台座2メートル、銅像3メートルの像が建てられましたので、ことしで41年がたったことになります。私も物心ついたときから見ている像ですし、地元の盆踊りでは必ずかかる直実節で踊らせていただきました。
鎌倉時代より800年以上もの歴史が経過しましたが、偉大な武蔵武士として名をとどろかせた熊谷次郎直実公の墓と伝わる蓮生堂については、美里町史によりますと、畠山重忠公とともに武蔵武士を代表する武人であった。保元平治の乱には源義朝に従って目覚ましい活躍をし、一ノ谷の合戦では須磨の浦で平家の若武者無官太夫敦盛を討ち取るなど、数々の手柄を立てて武名を天下にとどろかせたと記載されております。
まちなかに設置してある彫刻像のうち熊谷駅前の熊谷次郎直実公銅像や星川の上流部、憩いの広場にあります戦災者慰霊之女神像は、それぞれの設置趣旨に基づき設立された団体が市民の浄財により設置し、その後市に寄附されたものでございます。また、女神像以外の星川通りの各広場に設置されている5体の像は、星川通りを彫刻通りにするとの構想に基づき、星川通り彫刻像設置協議会の意見を踏まえ、市が設置したものでございます。
これを熊谷市に当てはめてみますと、第1の点というのは、熊谷というと私もすぐ思うのが熊谷次郎直実公、そして妻沼でいえば斎藤別当実盛公、これは歴史的な人間です。このほかに最近では荻野吟子女史、こういった人をですね、熊谷でもある程度利用しておりますけれども、まだまだ十分に利用してこれで活性化に生かしているとは言えないかと思います。
熊谷駅の駅弁販売状況を見ますと、その駅弁の包装紙、特に幕内弁当には熊谷次郎直実公の一谷挙扇の図並びに熊谷うちわ祭りの由来、山車、屋台及びうちわを入れたもので、熊谷市の代表的な観光をPRしているものであります。